機関銃の種類

機関銃の装具と弾薬

実写レポート

「一〇〇式短機関銃と九六式軽機関銃」の実射

十一年式と九九式軽機関銃にみる日本兵器史


機関銃の装具と弾薬

機関銃は複雑な兵器で、運用には綿密な整備が必要であった。また多量の弾薬を消費したので弾薬の円滑な供給も重要な要素であった。その為に様々な装具が工夫されて用意された。
機関銃の装具には、
イ 清掃整備用具
ロ 弾薬とその供給装具
ハ 照準眼鏡などがあった。


日本軍は、作戦を基本的には徒歩で遂行したため、地上用兵器は元より、兵器の装具も全て、人力か馬搬送するように設計、製作されていた。
清掃用具は「属品」「手入れ具」と呼ばれ、重機関銃の場合は馬で、また兵が背負い搬送するように、縦長の木箱を使用していた。軽機関銃の場合は、銃手の腰に装着する小型帆布製収容嚢に収まっていた。
ロ、弾薬は重機関銃では、30発載せ保弾板を使用していたので、保弾板入り紙箱が収容される、属品と同じような縦長の木箱を使った。箱弾倉を使用する軽機関銃は弾倉収容嚢(2個収納)と弾薬袋を使用した。弾薬は基本的に歩兵が使用する5発入り保弾子の単位であって、装弾器を使い、弾倉に装填した。
ハ、照準眼鏡は帆布製の固形収容嚢に入れ、銃手が肩から提げて搬送した。軽機用眼鏡は狙撃銃眼鏡と同じく、銃に合わせてあり、眼鏡自体に調整装置がなかった。

1939年の軽機関銃手の装具
1937年の日中戦争勃発後、日本軍の主装備軽機関銃は十一年式であった。十一年式軽機は箱型弾倉を使用せず、歩兵・騎兵の持つ6・5mm弾薬、5発入り保弾子入りをそのまま、装填架に入れて使用した。銃手は機関銃の他、背嚢に予備銃身を装着し、平たい属品嚢を腰に付けた。弾薬150発を収容嚢に入れて肩から提げた。補助兵器は二十六年式拳銃で、三十年式銃剣も帯びた。
一般の歩兵の装具が30kgくらいあり、機関銃手の場合は40kgを越えていたであろう。
1944年の軽機関銃手の装具
太平洋に拡大した戦場で使われた軽機関銃は九六式6・5mmと九九式7・7mmであった。
九六/九九式軽機は箱型弾倉(30発入り)を使用するので、弾倉2個が入る収容嚢と照準眼鏡を肩から提げ、属品を腰に提げた。補助兵器は十四年式拳銃後期型、機銃に装着出来る
三十年式銃剣は剣身が黒染め、直鍔の形式になっていた。装具に使用された素材は皮革製より、密林の高温高湿に強い、ゴム引き帆布になっていた。
機関銃弾薬
日本の機関銃は個別に弾薬を開発してので、様々な種類が存在した。例えば同じ7・7mm弾でも、薬夾の底部の形状により、起縁、半起縁、無起縁の3種があり、20mm弾でも数種が存在していた。陸軍と海軍では同じ7・7mmを使用しても、弾薬の互換性は無かった。
左より陸軍九四式37mm、海軍九六式25mm、陸軍九八式20mm、海軍13・2mm、上、陸軍八九式旋回機銃7・7mm、下、海軍九七式固定機銃7・7mm
三脚架
日本の各種重機関銃に使用された三脚架は、日露戦争後、第一次大戦までの間に南部設計により開発されたようだ。この三脚架が、三八式機関銃、三年式機関銃そして九二式重機関銃に使用されていた。この三脚架は「三八式」もしくは「三年式」の制式名があったかどうかは定かではないが、構造、機能、運用性、どれをとっても世界最高水準のものであったことに間違いない。大きな特徴は、機関銃を三脚架に載せたまま2―4人の兵士が搬送出来る点であった。姿勢は伏射、座射など様々にとれた。
手入れ具
九九式軽機関銃属品と手入れ具嚢
基本的に二つの収容嚢に、機銃を使用、手入れする為の細かい道具と部品が収納されていた。
十一年式軽機関銃属品
 
機関銃用照準眼鏡
九二式重機関銃用九四式照準眼鏡
6倍x10°
日本光学製
全長21cm、横幅10cm、高さ10cm
九二式重機関銃用九三式潜望鏡式照準眼鏡と収容嚢
6倍x8・2°
日本光学製
全長 40cm
軽機関銃用照準眼鏡と収容嚢
右;九九式軽機用 2・5倍x13° 東京工廠製 全長18cm
左;九六式軽機用 2・5倍x13° 日本光学製 全長18cm

九六式用眼鏡収容嚢は九九式のものより高さが1cm小さい。
九七式車載重機関銃用照準眼鏡と収容箱
1・5倍x30°
富岡光学製
昭和17年
全長58cm